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更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/07/23(Sun) 07:15 No.1798 
神山徳平さんを追加。
文野朋子さんのページで修正(全文)。
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更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/07/16(Sun) 08:38 No.1795 
神山 繁さんを追加。
文野朋子さんのページで写真を追加。
石坂一義さん、石坂信雄さん、石坂泰三さんのページで修正(*欄)。
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更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/07/09(Sun) 07:19 No.1791 
石坂一義さんを追加。
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彦坂震吉について(再) 投稿者:山本達行 投稿日:2017/07/05(Wed) 08:58 No.1788 
過日、彦坂震吉について問い合わせた者です。今年の4月にハンブルグで墓の位置(墓石は撤去されていた)と彼の勤めていた美術工芸博物館でその足跡を確認してきましたが、彼の正式名称は原震吉です。墓碑の経歴を見る限り、生誕地、生没年、妻の名前、仕事内容等一致しており、間違いないと思います。ただ、ドイツで探すことができなかった御家族(息子)が日本に帰国しており、彦坂を名乗っていたことは初めての発見です。できれば資料として記録しておきたく、HPの写真の撮影年月日と撮影者を教えていただければ幸いです。お手数をおかけしますがよろしくお願いします。

多磨霊園著名人研究家 > 撮影日は2011.8.17。私が撮影しました。 (7/6-14:12) No.1789
山本達行 > 手を煩わせました。有り難うございます。 (7/8-09:50) No.1790
多磨霊園著名人研究家 > 彦坂家の墓所を確認しに本日多磨霊園に行ってきました。掲載していた番地には確かに彦坂家の墓はありませんでしたが、私はこの場所ではないなと違和感を覚えたので、遠い記憶をたどりながら一本道路を渡った個所を確認しに行ったところありました。私が番地の記載ミスをしていました。正しくは「25区1種26側」です。 (7/12-23:51) No.1792
guti > 彦坂家の墓所地を25-1-26に訂正しました。 (7/13-20:12) No.1793
山本達行 > 確認していただき、本当にありがとうございます。秋田に住んでいますので、すぐには行けませんが、今年中には尋ねてみたいと思います。 (7/15-21:11) No.1794
多磨霊園著名人研究家 > 写真を添付したメールを送っています。そちらもご確認ください。 (7/17-01:55) No.1796
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彦坂震吉について 投稿者:山本達行 投稿日:2017/07/02(Sun) 10:54 No.1785 
震吉について調査している者です。このサイトの情報を頼りに多磨霊園に行ってみましたが、情報の25区1種12側に墓石墓碑ともにありませんでした。管理室で聞いてみましたが、この区には「彦坂」名のお墓はないとのことでした。確認できないでしょうか。

多磨霊園著名人研究家 > だいぶ前に写真を撮り掲載をしたページです。管理事務所にも確認をしてその区画にないとなると、改葬されたのかもしれません。私は関係者ではないので、その後どうなったのかもわかりません。なお、彦坂震吉はここには眠っていません。実際にあった時の碑文等々は掲載している通りですので、現存しているかどうかはわからなくなってしまいましたが、調査資料としてはご活用いただければと思います。 (7/3-03:18) No.1786
山本達行 > 返信有り難うございました (7/5-08:39) No.1787
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更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/07/01(Sat) 08:01 No.1784 
岸田辰彌さんを追加。
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黒沼健氏の父 投稿者:hs 投稿日:2017/06/27(Tue) 13:16 No.1782 
前回黒沼健氏のコメントをさせていただいたものです。
私もネットで左右田信二郎氏は金作氏の弟とされているものを見ました。
しかし信二郎氏は新潟の柏崎の出身に対し、金作氏は群馬県の出身とされています。「左右田哲学への回想」と国会図書館デジタルコレクションの大正人名辞典、大日本人物名鑑等から、金作氏と信二郎氏は本家分家(もともと左右田家は新潟の豪農で金作氏の数代前に群馬に移住)の関係のようです。
黒沼健氏を喜一郎氏の息子とするのも、ネット上の情報だけで私が確認した限り、講談社等の人名辞典、志水一夫氏の黒沼健略年譜でも喜一郎氏の息子とは記載していません。ネットの情報は信用できないものもあるのではと思い、コメントさせていただきました。

多磨霊園著名人研究家 > hs様 貴重なご意見ありがとうございます。なるべく裏が取れる書物にてと思ってはいますが、なかなか今回の件に関しては情報も乏しく推測の域を脱せません。また多磨霊園外のことに関してでもあるため、そこまで積極的になれず。ご子孫の方を含め正確な情報をお持ちの方からの情報提供をお待ちすることにしたいと思います。今後とも何かお気づきのことがありましたらご連絡ください。 (6/28-04:01) No.1783
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訂正および更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/06/25(Sun) 08:10 No.1780 
左右田金作さん、黒沼健さんの墓所を蓮光寺に訂正および、*欄を修正
(ただし、黒沼健さんの墓所地は未確認)

浦野まつほ さんを追加。
左右田喜一郎さんのページで修正(*欄)。


hs様、情報提供有り難うございます。
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黒沼健氏について 投稿者:hs 投稿日:2017/06/24(Sat) 16:56 No.1776 
黒沼健氏を左右田喜一郎博士のご子息とされていますが、一族の左右田信二郎氏のご子息ではないでしょうか?
「左右田喜一郎への回想」によれば、博士の遺児はピアニストになった方お一人のようです。
また同書によれば、多磨霊園の墓は博士の門下生が中心になって建立したもので、左右田一族の墓は横浜の蓮光寺にあるようです。金作氏の墓もそこではないでしょうか?
ご確認をお願いいたします。

guti > hs様、情報提供ありがとうございます。研究家さんは確認をお願いします。 (6/24-19:45) No.1777
多磨霊園著名人研究家 > ha様、この度は貴重な情報を誠にありがとうございます。 調べた結果、左右田一族の墓は横浜の蓮光寺であり、左右田喜一郎の正墓はそちらであることが確認できました。また、左右田金作の弟の左右田信二郎は、留子と結婚し、長男は誠一、二男に道雄を生んでおり、生没年月日から推測して左右田道雄が黒沼健ですね。そうすると、左右田喜一郎とは従兄弟ということが正しいかもしれません。 ちなみに、左右田金作は田島常右衛門三女のトヨと結婚し、喜一郎、徳郎(理学博士)、七郎、玉子、静(棟一を婿養子)、良三、郁、六郎、道雄を生んでいます。ここにも道雄が出てきますが違いますね。喜一郎の妻は伯爵の上杉憲章の妹の直。二人の間には五十鈴を儲けている。左右田五十鈴は銀行家として活動した記録が残っていますが詳細はわかりません。 よって、左右田喜一郎の正墓は横浜・蓮光寺であり、金作と黒沼健の墓もそちらに眠られていることでしょう(後日修正します)。 さて、ここで疑問なのが、なぜ多磨霊園にも墓があるかということですね。正墓とは別に多磨霊園にも分骨として墓を建之している人物はたくさんいます。それと同じであると推測しますが、多磨霊園は都営霊園であり、規定によって没者がいること、都内在住6年以上の人、代々永代することなど細かいことをクリアせねばそもそも墓を建てられません。もちろん、門下生が墓を建てるお金を出資することはできても、そこにお墓を建てることはできません。直系でなくてはいけないルールがあるからです。現在は6親等まで、嫁ぎ先が継承できると緩くなりましたが、 喜一郎が亡くなった戦前では、直系を重んじている風習であることから、親族が関与せずして建之されることはありません。おおむね、多磨霊園の場合は、その人物を筆頭として以降の代々の墓として活用されている方がほとんどです。多磨霊園には左右田喜一郎は分骨として、妻の直、左右田五十鈴以降が埋葬、永代費用などを納められて維持されていると推測します。 (6/25-02:59) No.1779
hs > 確認ありがとうございます。 (6/27-12:31) No.1781
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更新履歴 投稿者:guti 投稿日:2017/06/18(Sun) 08:28 No.1775 
寺田錫類さんを追加。
藤井丙午さんのページで修正(*欄追加)および写真を追加。
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